伊弉諾 雫 作品集

散文詩・エッセイ・批評・考察・論評

赤い風船

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●ep.1●


何故持っていたのだろう、誰に貰ったのだろう


思い出せない


ただ、とてもうれしかった どこにでもある、赤い風船


タイセツナ、タカラモノダッタ




●ep.2●


おもちゃの車に跨って、家の前の小さな路地を


凱旋気分で突っ走ってた



<へへ、イイダロー、コンナステキナフウセン、モッテルンダゼ!!>



ハンドルに括り付けた赤い風船、数分のうちに、糸が切れ、


天高く舞い上がってゆく 手を伸ばせど、伸ばせど、届かない


追いかけれども、追いかけれども、逃げてゆく


泣きじゃくれども、風に、風に、流されてゆく




●ep.3●


やがて下り坂に差し掛かり、風船はいよいよ高く舞い上がり


黄昏の空に溶けていった


ああ、行ってしまう。行ってしまう、僕の、僕の、大事な赤い風船


待ってよ! 行かないでっ!


<マッテヨ!! イカナイデ!! ボクノソバニイテヨ!!


 オイテカナイデ!! ボクモツレテッテヨ!! ボクヲオイテカナイデ!!>




●ep.4●


いつまで泣いていたんだろう


陽は沈み、あたりは紫色に染まっていた


目は腫れて、手垢で頬は泥だらけに汚れていた


ポッカリと胸に穴が空いてハンドルに絡みついたちぎれた糸が、


色を失くしてうなだれていた


それを見て、また泣きじゃくっていた


<グズッ、グズッ、ヒック、グズッ…>



●ep.5●


気配がして振り向くと、母が見守ってくれていた


『ふーせん、とんでっちゃった…』


母にそう呟くと、溢れる涙を見られぬように、


ウツムイタ…。


両の拳を握りしめ、歯をギリギリと喰いしばり、泣かないようにと思うけど、


<ヒッ、ヒッ、グズッ、ヒック、ヒック、グズッ…>




●ep.6●


固まったまま、動けずにいた僕


しばらくそっとしておいてくれた母


母の指が、静かにそっと頬の涙を拭ってくれた


小さくて、細いけど、何よりも、心強い指


いつものように、微かに石鹸の匂いがした


『あの風船はね、あなたのことをキライになったんじゃないのよ


 あのお空の向こうにも街があるの。素敵なお友達がたくさんいてね


 そこにあなたもおいでって誘ってくれているのよ


 だから、おおきくなったら訪ねていけばいいのよ』


<ステキナ、オトモダチ、タクサン、イルンダ…


 オオキクナッタラ、オオキクナッタラ…>



●ep.7●


何だかよくわらなかったけれど、ポッカリ空いた胸の穴が、


暖かくて、重いものに、埋められていく感じがした


そして手を繋いで、家に帰った


強く、強く、母の手を握りしめて


モウ、ナニモ、トンデイカナイヨウニ…。



●ep.8●


そんな、幼い、幼い、或る日の一日


何故、急に思い出したのだろう


あの日の風船は、どうしたのだろう


赤い風船を探しにいけるくらいに、


僕は大きくなれたのだろうか?


ツヨク、なれたのだろうか?


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汚れた祈り

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降り注ぐ雨に


ただ打たれ続けていた



幾度も煙草に火をつけた


その度、炎はすぐに消えた



街灯の小さな灯りにさえ


怯え震えて膝を折り



濡れた髪もそのままに


両手を重ねて打たれていた



頬を伝う雫はやがて


ひとつ、また、ひとつ、と理由を育む



生まれた理由も心のままに


泥に沈んでゆくのだろう



空を洗う雨に打たれて


届かぬ心を探している


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未来からの手紙

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僕は僕だけの道を生きたくて


勝てるように、と、牙を剥き続けてきた



立ち止まると弱さに負けてしまいそうで


躓くように走り続けた



もう一歩、先に進めたら、君と輝けるような気がして…。


ひとかけらの優しさも見せられていないことに気づかないまま…。



2人のためと信じて疑わなかったあれやこれや


ただ僕の不安を消すために、君から理由を奪っていただけだった



強さの意味と引き換えに、君をもう手の届かないところへと追いやってしまった…。



胸を苛む痛みは消えやしないさ


それでも、負けないように、笑顔でいること



君も僕も、新しい暮らしをはじめて


随分と時が流れた



風の便りに、うまくやっている、と聞いた


きっと、真っすぐに生きてるんだろうね、変わらずに…。




時々、君が抱きしめて言ってくれていた言葉を思い出す。


「ずっとみてるから お互いの好みは違っても


 欲しいものは同じだから 離れないように


 ずっとみてるから…」




思えば、僕の身勝手な生き方で、どれだけ辛い思いをさせたのだろう


それでも君は、どこまでも優しかった…。



もし、いくつもの生活の傷を負って、そっと目を閉ざしているのなら


僕の傍においでよ



誰にも知られない小さな涙を、まだ独りで零しているのなら


もう一度、僕の傍においでよ



あの頃、探しても探しても、たどり着けなかった優しさで


今度は僕が包んで抱きしめたい



光を灯してあげる


僕が、光になる



君がよければ、だけれども…。



時は移ろい、何もかもが変わって見えても


何も変わらずここにいる



過ぎた時よりも何よりも、君から貰った強さの意味で


君を守らせてほしいんだ



少しだけ変わった僕で、何も変わらずに、ここにいるから…。



PS:これも自分勝手な言い草だね。
  
  どれだけ大人になれたなら、幸せになれるのかな?


  ゴメンね


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終わりを知ってるから

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安らかな寝息を立てて眠る君


不意に寝顔がゆがんで見えた


「ナイテイルノカ…」


頬を伝う、温かい雫を、拭う気になれなかった




この柔らかな想いは、悲しみなのか、満たされているのか


2人の時間を代償に得る暮らし


疲れた心にも還る場所がある


雫が胸の奥に沁みて、固いものがほどけてゆく





心を許すこと、許されることが怖いのに


胸に拡がる穏やかさに委ねて


感じるままに、髪を撫でてみる





わからなくなる、柔らかな想いが、悲しみなのか、満たされているのか


溢れてくるんだ、頬を伝い続ける雫と同じだけ、分かり合えたつもりで、


終わってしまった、いくつもの過去が





もう、瞳を閉じよう。


とりとめもなく、溢れ出る想いが、柔らかい、ということだけでいい


それだけでいいんだ。




そのまま溢れさせておけばいい、いつかは、終わってしまうのだろうけど


終わりを知ってるから、できれば最後まで、柔らかな心のままでいられればいい


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夢幻の月

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もう、何もかも、洗いざらい、捨ててしまいたい


教えてほしい、何故にこうもはぐれゆく


ただ、冷たい風を避けてきただけなのに



分かち合えるものなど、初めからない、と、わかっていた


わかっていたのに、誘わるままに、心許して、心失う



この絆を育むためなら、何もかも、洗いざらい、捨てても構わない


教えてほしい、君は何故、前だけを向いて、先を急ぐの?



心の還る場所にしようと、二人で育む絆を求めた


じっと佇み、もがく俺の姿を、取るに足らない弱さだと


君は一瞥をくれて外を見ている



君の存在は俺にとって、雨に濡れるような裏切りとなった


教えてほしい、君は俺の中に何を求めていたの?



もう、終わらせよう、分かち合うものなど、初めからなかった


絆が愛と呼べるまで、じっと育てることなど、人波の中ではただの気狂い




よくわかった、何故、二人の心がはぐれていくのか


組立終わったものにしか、君には価値がないのだと




俺に価値があったとすれば、冷たい風を避ける風除けの役割と、


飽きるまでのひと時でも、味わえるだけの、血肉で育てた心を収穫できることくらい




同じ月を見ていた気がしていた、それは確かに同じ月だった


ただ、こちら側からは決して見えない、それぞれの裏側だった、というだけのこと


ただ、それだけのことだった…


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